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租税判例百選[第5版]1(租税判例百選[第4版]1)憲法と租税法―大島訴訟(第一審判決)

最高裁判所昭和60年3月27日判決・最高裁民事判例集3巻2号247頁

 

〈事案の概要〉

(「大島訴訟」「サラリーマン税金訴訟」として,あまりに有名な訴訟であるため書く必要はないと思い省略します。大島教授は,給与所得者の給与所得控除が低いと争うためにあえて確定申告をせず,税務署長による決定を受け,取り消しを求めて出訴しました。)

 

 

〈当事者の主張〉

(省略。)

 

〈第一審判決(京都地方裁判所昭和49年5月30日判決・行政事件裁判例集25巻5号548頁)〉請求棄却

原告は,本件処分が違法である理由として,「所得税法の給与所得者に対する課税の仕組みそのものが,その他の所得者に比べ,給与所得者に著しく不公平な所得税の負担を課しているので憲法一四条一項に違反し,違憲無効の規定である旨を主張し,被告はこれを争うので,まずこの点につき,判断する。」

「思うに,租税は国家の営む諸活動の財政的基盤をなすものであつて,租税体系は国の財政需要の状況,社会・経済の構造,国民生活の状況,国民所得の分配の状況,その時代の社会・産業政策等の多数の不確定な要素を総合的に考量してはじめて樹立しうるものであり,したがつて,いかなる租税体系を組むかは,主として国民経済・財政政策の問題として,立法府の裁量的判断にまつほかはないというべきである。けだし,ある税制を定立しその内容を決定するに当つては,国民経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり,具体的な租税法規が現実の国民経済の安定と成長にどのような役割を果し,また,どのような影響を及ぼすかを洞察するためには,これに関連する社会的,経済的諸条件についての適正な評価と判断とが不可欠であるところ,このような評価と判断の機能は,まさに立法府の使命とするところであり,立法府こそがその機能を果す適格を具えた国家機関というべきであるからである。したがつて,具体的な租税法規の定立については立法府の合目的的,立法政策的な裁量に委ねるはかなく,裁判所はその裁量的判断を尊重するのを建前とするが,租税法規といえども憲法を頂点とする法秩序体系の一環をなすものであるから,それは憲法の予定する諸原則に背反するものであつてはならないこと,勿論である。それゆえ,裁判所は当該租税法規のもたらす不均衡が法の下の平等という

基本的理念の下において制度上許容されるべき合理的限界をはるかに超え,国民の正義衡平の観念に反する等立法府がその裁量権を逸脱し,当該租税法規が著しく不合理であることの明白である場合に限つてこれを違憲として,その効力を否定することができるが,右の程度に至らない場合に存することあるべき不均衡は憲法上許容されるものというべく,政治的問題としてその当不当が問題となることがあつても,直ちに違憲無効の問題を生ずることはないと解するのが相当である。

以下,この見地より,順次検討する。

一 給与所得控除制度について

まず,給与所得金額の算定方法に関し,法九条一項五号の規定する給与所得控除制度の合理的根拠の有無につき,検討する。

(一) (1)所得税法は,各種所得の所得金額の算定方法を次のとおり規定している。すなわち,法九条一項は,まず,課税対象である所得をば,利子所得(一号),配当所得(二号),不動産所得(三号),事業所得(四号),給与所得(五号),退職所得(六号),山林所得(七号),譲渡所得(八号),一時所得(九号)および雑所得(一〇号)の一〇種類に分類したうえ,所得税課税標準を構成するところの右一〇種類の所得の所得金額の算定方法をすべて一律に同じに規定せず,給与所得(および退職所得)を除いた,事業所得等のその他の所得については,原則として,その年中の収入金額からそれを得るために要した必要経費を控除した金額をもつて,その所得金額とする旨を規定している(ただし,利子所得には必要経費が存しないので,収入金額をもつてその所得金額とされている。)のに対し,給与所得については,その年中の収入金額から,該金額の多寡に応じ,左記金額を控除した金額をもつてその所得金額とする旨を規定している(昭和三九年法律第二〇号による改正法附則三条参照)。」

「(2) すなわち,所得税法は,給与所得金額の算定方法について,事業所得等のその他の所得と異なり,収入金額からそれを得るために要した必要経費の実額を控除する制度(実額控除制度)ではなく,収入金額から,その多寡に応じ四段階に分けられた法定の一定額(給与所得控除額)を控除して,一般的に所得金額を算定するという制度(給与所得控除制度)を採つているものである。そして,この給与所得控除制度の下では,給与所得者は個別的な証明をなさずして,収入金額からその多寡に応じ法定された給与所得控除額の控除を認められる反面,収入金額を得るために実際に要した必要経費額が,仮に法定の給与所得控除額を超過した場合にも,その実額(ないし超過分)を個別的に控除する途は認められていないものである。

(二) そこで,右給与所得控除制度の趣旨ないし内容について考察する。」

1 給与所得控除制度の歴史的沿革は,概要,次のとおりである。

「(1) わが国の税制上所得税が初めて登場したのは明治二〇年で,当時,すでに事業所得については収入金額から必要経費を控除することが認められていたのに対し,給与所得については俸給額(収入金額)がそのまま課税対象になるものとされていたものであり,これは当時,給与所得については必要経費というものは存在しないと一般に考えられていたことによるものであつた。

そして,ようやく大正二年に至り,給与所得控除制度が創設され,当初は限度なしに一〇%の控除が認められた(なお,当時は勤労控除と称していたもので,給与所得控除と称するようになつたのは戦後シヤウプ勧告以後である。)。給与所得控除制度が創設された理由は,給与所得は,勤労者が死亡したり,疾病したりすると直ちに収入が途絶えてしまい有期的で不安定であるので,資産所得である利子,配当所得や,資産と勤労の協同所得である事業所得に比べて担税力が弱いと考えられたことがほぼ唯一の理由であつた。

(2) 次いで,昭和一五年に分類所得税制度が採用され,分類所得税と総合所得税の二本建てになつたが,その際,甲種の勤労所得たる給与所得は,事業所得(五〇〇円)より多い七二〇円の基礎控除が認められるとともに,税率も他の所得(甲種の事業所得たる商工業所得は八・五%)より低い六%の税率と定められたが,これも給与所得の担税力が,資産所得や事業所得に比べて弱いと考えられたことが,ほとんど唯一の理由であつた。

(3)次いで,昭和二二年に,再び現在あるような総合所得税だけの建前に復帰し,給与所得についてのみ六,〇〇〇円を限度に二〇%までの給与所得控除が認められた。

このようにして,給与所得の担税力が資産所得や事業所得に比べて弱いのを調整するための立法上の考慮は,わが国の所得税の歴史上,大正二年の給与所得控除制度の創設以来,一貫して重要視されてきたものであつたといえる。

(4) そして,昭和二四年,戦後の日本の税制に画期的な大改革を勧告したシヤウプ使節団は,その報告書において,当時の給与所得控除制度の趣旨には,(1)個人の勤労年数の消耗に対する一種の減価償却を承認する,(2)給与所得をうるために個人的努力および余暇の犠牲が伴うことを承認する,(3)しばしば通常の生計費との区別がほとんどできないため,行政上の理由から特定の控除項目として認めることができないところの勤労により生じた追加的経費を概算的に控除する,(4)給与所得の査定が他の所得に比べてより正確であるためこれを相殺する,という四つの内容が含まれていることを指摘した(これは公知の事実である。)。ここにおいて,従来,給与所得控除制度の趣旨は,給与所得の担税力の弱いのを考慮するということがほとんど唯一の内容であると考えられていたのに対し,そのほか,給与所得の必要経費を概算的に控除するということ,および給与所得の把握(捕捉)がその他の所得に比べてより正確であるのでこれを考慮するという内容も含むものであるということが指摘されたのであつた。

(5) その後,昭和三六年の所得税法の改正により,給与所得控除の方法として,従来からの定率控除制度に加えて,新たに定額控除制度が採用され,当初は一万円の定額控除が認められ,この定額控除は,昭和三九年の改正(同年四月一日から施行)により二万円に増額され,その残額について,四二万円まで二〇%,八二万円まで一〇%,限度一四万円に改められたものであるが,同改正は昭和三九年四月一日から施行のため,本件で係争中の昭和三九年度の給与所得については,附則三条により,昭和四〇年度分以後のいわゆる平年分の引上額の四分の三の引上げとされ,前記(一)(1)のとおりの数額になつているものである。そして,この定額控除制度は,当時,給与所得控除制度の趣旨のうちに含まれていると考えられていた必要経費の概算控除という内容のうち,固定経費的な部分の存在するのに着目し,これを控除するという観点から設けられたものであつた。

2 給与所得には,次のような特殊な性格ないし事情が存在するものと認められる。

(1) まず,給与所得の意義であるが,法九条一項五号によると,給与所得とは「俸給,給料,歳費,年金,恩給及び賞与並びにこれらの性質を有する給与」であるとされている。所得税法の右規定によれば,要するに,給与所得とは,使用者との間の雇傭契約に基づいて,非独立的に提供する労務の対価として使用者から受ける金銭的給付をいうものと解することができる。

(2) 右のとおり,給与所得者は使用者との間の従属的な雇傭契約に基づいて労務を提供するものであるが,給与所得はその労務提供の対価として使用者から受ける反対給付であつて,あたかも雨水の如く,何らの給付もなくして天から降つてくる訳のものではないので,理論上,給与所得者にもその給与収入を得るために必要な経費というものが存在することを認めることができる(給与所得の必要経費の意義等については後に説示する。)。しかして,所得税は収入金額ではなく,それから必要経費を控除した純所得を基礎にして課せられることが,その本質に即した基本的要請であるというべきであるから,給与所得についても,それが課税に際しては収入金額から必要経費を控除することが法律上認められて然るべきものである。

そうすると,給与所得控除制度は,まず,給与所得の必要経費を控除するという内容を有するものと認めることができる。

なお,右の必要経費の控除は,後記のとおり,給与所得控除制度の趣旨には,必要経費の控除という内容のほか,給与所得の担税力の弱さを調整するための考慮という内容なども含まれていると認められ,また,前叙のとおり,給与所得控除額は四段階に分けられて上限,下限を法定されているので,概算的な控除と認められる。

また,法所定の給与所得控除額は前叙のとおり,収入金額の多寡に応じ,四段階に分かれて,逓増しているが,これはおもに,給与所得の必要経費が収入金額の増加に応じて一般的に増加すると考えられることを反映しているものと認められる。すなわち,給与所得の必要経費は,給与収入を得るために必要な経費であるから,収入金額が増加すれば,一般的には,それに応じ該給与収入を得るために必要な経費もまた増加すると考えられる(ただし,必ずしも正比例的に増加するとは断定できぬ。)のに対し,後記認定のとおり,給与所得の担税力は,これとは逆に,収入金額の増加に応じてむしろ一般的に強くなり,したがつて担税力を考慮する必要性は乏しくなるものと認められ,また,給与所得とその他の申告所得との間の捕捉率の格差および金利上の差は給与収入の多寡に応じて,それほど著しく差異があるものとは認め難いからである。

(3) 次に,給与所得は,専ら個人の勤労によつて稼得されるところの勤労所得であつて,本人が死亡や病気等をした場合には直ちに収入が途絶えたり,減少したりして,いわば継続性がなく不安定な性格のものであるのに対し,利子,配当所得や事業所得は,専ら資産から生じたり,または,資産と勤労の協同によつて生じるものであつて,資産の所得者または企業主が死亡や病気等をした場合でも,遺族が引継いだり,家族が代つてすることが一般に可能な性格のものである。そのため,給与所得は,利子,配当所得の資産所得や事業所得に比べて,一般的に担税力が弱いものと認められる。したがつて,この給与所得の担税力の弱さを立法上考慮するのが相当であると考えられるが,所得税法上,給与所得控除制度を除いては,特に,給与所得の担税力の弱さを考慮していると認められる制度は存在していないので,結局,同制度は給与所得の担税力の弱さを考慮するという内容も含んでいるものと認められる。

なお,給与所得の担税力それ自体,あるいは給与所得と利子,配当所得,事業所得との間における担税力の相違の程度を計数をもつて一義的,かつ,正確に把握することはほとんど不可能に近い事柄であるので(本件においても,一義的に把握するに足りる実証的な資料は存しない。),給与所得の担税力の弱さを立法上考慮するとしても,いわば概算的に考慮するしか方法がない訳であり,したがつて,給与所得控除制度の趣旨の中にも概算的に織り込まれているものと認められる。また,給与所得の担税力は,給与所得金額の多寡にかかわらず一定不変というものではなく,その多寡により強弱の程度を異にし,所得金額の多いほど担税力も次第に強くなり,これに従い,給与所得の担税力の弱さを考慮する必要性は逓減する性質のものと認められる。

さらに,給与所得の担税力の弱さが,該所得の稼得が,主に,財産によつてではなく,個人の勤労によつてなされるという所得の勤労的性質にある以上は給与所得のみならず,農業所得や零細ないし小規模営業者の事業所得も,給与所得と同様,一般にその担税力は弱いものと推認されるのであるが,これらの所得について,特にその担税力の弱いことを考慮した制度は所得税法上設けられていない。

(4) 詳細は後に検討するとおりであるが,給与所得とその他の事業所得等の申告納税にかかる所得との間には,その捕捉率(所得税法上客観的に存する所得に対する税務当局により現実に把握(捕捉)された所得の比率)について,必ずしも俄かに僅少にすぎないとは即断し難い,ある程度の格差が存在しているものと認められる。したがつて,立法上も,この給与所得と申告所得との間に存在する捕捉率の格差に基づいて生じる課税上の不利益を調整するための考慮を払うのが相当であると考えられるところ,給与所得控除制度以外には,特にこの捕捉率の格差を考慮していると認められる制度は所得税法上設けられていないので,同制度には給与所得の捕捉率が高く,その他の申告所得の捕捉率との間にある程度の格差が存在していることを考慮するという内容も含まれているものと認められる。

しかしながら,給与所得と申告所得との間の捕捉率にある程度の格差が存在するとしても,それを計数をもつて,一義的,かつ明確に把握することは事柄の性質上不可能であるから,この捕捉率の格差に対する考慮も同様,概算的に織り込まれているものと認められる。

(5) 所得税の徴収・納付の方法として,給与所得については,給与所得の支払者がその支払をなす際に,所定の税率を適用して計算した所得税を徴収してこれを所得者に代つて政府に納付するという源泉徴収制度が実施されており(法三八条),そのため給与所得者は,一年度分の所得税を,毎年一月から一二月までの一二回(年二回の賞与を含めると一四回)に分けて,毎月所得税を納付しているのに対し,その他の事業所得者等については,所得および税額を所得者自身が計算して納付する申告納税制度が実施されていて(法第三,第四章),そのため事業所得者等は一年度分の所得税を,毎年,その年の七月一日から同月三一日までの第一期と一一月一日から同月三〇日までの第二期とに予定納税基準額の各三分の一の予定納税をし,次いで翌年二月一六日から三月一五日までの間に確定申告をなし終えるものであり(法二一条,二六条),そのため,給与所得者は,制度上,結果的に,事業所得者等に比べて平均約五ケ月程度所得税を早期に納付していることになつている。したがつて,この間の金利上の差額を立法上考慮するのが相当であると認められるところ,給与所得控除制度以外には,特にこの給与所得者の被ることあるべき金利上の損失を考慮している制度は所得税法上設けられていないので,同制度は,この給与所得者の被ることあるべき金利上の損失を考慮するという内容も含んでいるものと認められる。

なお,年収二〇〇万円,夫婦子二人の給与所得者(ただし,昭和四四年度を基準とする。)が被ることあるべき金利上の損失は,早期納付することになる税額を年利三・六%(通常郵便貯金々利)で運用するものとして計算すると,事業所得者に比べて,税額に対し一・一%(一,四六六円)であり,その金額はかなり僅少であると認められる。

3 総理府の付属機関として設置されている税制調査会は,内閣総理大臣の諮問に応じて租税制度に関する基本的事項を調査審議することを目的とするものであり(総理府設置法一五条),その答申の九〇%以上は政府によつて実行されてきた実積を有し, 極めて権威のある租税制度に関する審議機関であるが,同調査会では給与所得控除制度の趣旨を,従来の答申において,(1)勤務に伴う必要な経費を概算的に控除すること,(2)給与所得は本人の死亡等の場合には直ちに途絶えるが,資産所得および事業所得は,資産の所得者または企業主が死亡しても遺族等が引き継ぐことのできる性格のものであり,これらの所得に比べて給与所得は特に担税力に乏しいから,これを調整すること,(3)給与所得については源泉徴収が行われ,他の所得に比べてより正確に把握され易いから,これを相殺するためのいわば把握控除であること,および,(4)給与所得については源泉徴収が行われる結果,申告納税の場合に比べ平均約五ヶ月程度早期に納税することになつているのでこの間の金利を調整することという四つの内容を総合したものと説明してきている。

以上の事実が認められる。右認定の事実によれば,左の事実を認めることができる。

〔1〕まず,給与所得控除制度の趣旨は,次の四つの内容,すなわち,

(1) 給与所得には,その給与収入を得るために必要な経費というものが存在するのでその必要経費を概算的に控除する(必要経費の概算控除),

(2) 給与所得は,利子,配当所得および事業所得等に比べて,一般的に,担税力に乏しいのでこれを概算的に調整する(担税力の調整),

(3) 給与所得の捕捉率とその他の申告所得の捕捉率との間にはある程度の格差が存在するので,これを概算的に調整する(捕捉率の格差の調整),

(4) 給与所得は,その他の申告所得に比べて平均約五ヶ月程度早期に所得税を納付しているので,この間の金利差を概算的に調整する(金利調整),

という四つの内容を含み,これらが総合されてその趣旨をなしているものと認められる。

〔2〕そして,右のとおり,給与所得控除制度の趣旨には,給与所得の必要経費の概算控除という内容が含まれているものと認められるが,同制度の趣旨には,そのほか,給与所得の担税力の概算的調整,捕捉率の格差の概算的調整および金利差の概算的調整という三つの内容も含まれており,以上の四つの内容が総合して給与所得控除制度を形づくつているため,必要経費の概算控除分が給与所得控除制度の中にどのようにして織り込まれ,給与所得控除額のうちのいかほどの割合(ないし金額)を占めているのかは必ずしも明確に画定されていない。しかしながら,所得税の課税は,収入金額ではなく,それから必要経費を控除した純所得を基礎にしてなされることが所得税の本質的要請であるので,所得税法上,給与所得についてもこの点は最大限の考慮が払われているものと考えられる(なお,給与所得控除額が収入金額の増加に伴い四段階で逓増しているのは,主に,給与収入の増加に応じて必要経費も一般的に増加すると考えられるのを反映してと認められることは前叙のとおりである。)のに対し,給与所得の担税力が利子,配当所得や事業所得等に比べて一般的に弱いというもののその計数的格差は不分明であり,しかも,給与所得の担税力の弱さに対する考慮はわが国の給与所得控除制度の沿革上は重要な意義を占めてきたものであつたが,これはあくまで沿革的事実にすぎなく,かえつて,給与所得の担税力の弱さの主因が前叙のとおり給与所得の勤労的性質ないし非継続性にあるとすれば,農業所得や零細小規模の事業所得についてもほぼ同様の事情を窮知できるのにこれらの所得の担税力の弱さを考慮している制度は所得税法上格別存在していないことなどを照らし考えると,一般的には,給与所得の担税力の弱さを立法上考慮するのは極めて適切であるとしても,給与所得控除制度の中に織り込まれている給与所得の担税力の調整分を余りに重要視するのは必ずしも相当ではないと考えられ,また,給与所得と他の申告所得との間の捕捉率に格差が存在するとしても,その具体的,計数的度合は不分明であるばかりでなく,所得の捕捉率の問題は,後にも述べるとおり,本来単なる税務行政執行上の事実上の問題にすぎないと考えられるので,これまた所得税法上,この所得の捕捉率の格差の存在を考慮するのが適切であるとしても,給与所得控除制度の中に織り込まれている捕捉率の格差の調整分を余りに重要視するのは必ずしも相当ではないと考えられ,さらに,給与所得者が源泉徴収納税により被ることのあるべき金利上の損失は,前叙のとおり,かなり僅少な額にとどまると認められるので,結局,給与所得控除制度の趣旨の中において,給与所得の必要経費の概算控除分はその主要な地位ないし部分を占めているものと認めるのが相当である。

(三) 次に,原告の主張する各費用が必要経費を構成するか否か,また,その総計額は法所定の給与所得控除額(厳密には,該金額から給与所得控除制度の趣旨を構成する他の内容,つまり担税力の調整分,捕捉率の格差の調整分および金利調整分を差引いた残額の部分)を超過するか否かについて,考察する。

1 まず,給与所得の必要経費の意義は,次のとおりに解するのが相当である。」すなわち,(1) 給与所得の必要経費の意義も,他の所得との権衡上,基本的には事業所得の必要経費を定める法一〇条二項に則つて解するのが相当である。「しかし,法の右規定は,必要経費の考え方について,会計学上のいわゆる費用収益対応の原則に立脚しているものであるところ,同原則は,昭和四一年の所得税法の改正前においても,法人税との関係上相当程度くずされて実施されていたのが現実の姿であつたことは一般に周知の事実である(昭和四一年の改正による現行法三七条一項は,必要経費の意義を「売上原価その他当該収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費,一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用の額」と規定し,同原則のほかに,いわゆる期間対応の原則を採り入れている。)ことに注意すべきであり,また,ある具体的な費用の支出が必要経費を構成するか否かの判定に当たつては,当該所得者の置かれている現実的,かつ,標準的な社会的生活条件ないし該所得の発生環境の実態に即し,社会通念に照らして判断すべきものである。しかして,原告の如き給与所得者の置かれている現実的,かつ,標準的な社会的生活条件ないし所得の発生環境(具体的内実は後に認定するとおり)によれば,勤務(ないし職務)のために,またはこれについて生じた費用と観念できるものは,結局,法一〇条二項にいう,給与収入を得るために必要な経費と認めることができる。

(2) さらに,一方において,収入を得るために必要な費用と認められるが,それと同時に,所得の処分たる家事上の費用とも関連性を有すると認められる,いわゆる家事関連費については,その費用の主たる部分が収入を得るために必要であり,かつ,その必要である部分を明りように区分できる場合に限つて,当該部分に相当する費用を必要経費と認めることができる(旧所得税法施行規則一〇条の二五参照。なお, 所得税法施行令九六条一号参照)。そして,右の主たる部分が収入を得るために必要であるかどうかは,収入を得るのに必要な部分が当該家事関連費全体の五〇%をこえるかどうかにより判定し(ただし,その部分が五〇%以下のものであつても,当該部分の金額が収入を得るために必要であることが明らかであり,かつ,その部分の金額が明りように区分できる場合には,これを必要経費と認めることができる。旧所得税基本通達二六三参照。なお,現行所得税基本通達四五ー二参照),また,明りように区分できる場合とは,例えば,家屋の一部を区画してその部分を専ら事業の用に供し,または,年のうち或る期間を限つて事業のために専用する場合等当該部分の金額を明りように区分計算できる場合をいうものと解するが相当である(旧所得税基本通達二六四参照)。けだし,家事関連費について,その中に収入を得るために必要な費用と観念しうる部分があるからといつて,その全体を直ちに必要経費と認めるのは行き過ぎであるし,逆に,所得の処分(家事消費)の部分が含まれているからといつて,収入を得るために必要な費用の部分が,他の部分と混合せず,明りように区分できる場合にも,該部分の必要経費性を否定するのは所得税課税の本旨に悖るからである。

2 原告主張の各費用が必要経費を構成するか否かについては,次のとおりに解される。

(1) 被服費,クリーニング代,散髪代について

思うに,被服はひとり給与所得者に限らず,誰もが必要とし,その種類,品質,数量等は個人の趣味嗜好によつてかなりの差異があり,耐用年数についてもかなりの個人差が存するものであるから,被服費は,一般的には,個人的な家事消費たる家事費に属すると解するのが相当である。しかし,例えば,警察職員における制服のように,使用者から着用を命ぜられ,かつ,職務遂行上以外では着用できないようなものについては,その被服費の支出は,勤務のために必要なものとして,給与所得の必要経費を構成するものと解すべきである(右の例における制服の現物給与は非課税とされている。旧所得税基本通達二一〇の一〇参照)し,かような特殊な職業に従事する者ではないその他の一般の給与所得者についても,専ら,または,主に家庭において着用するのではなく,これを除き,その地位,職種に応じ,勤務(ないし職務)上一定の種類,品質,数量以上の被服を必要とする場合には,その被服費の支出は勤務についても関連するものとして,家事費ではなく,家事関連費であると解するのが相当である。原告の主張も,その背広等の支出が家事関連費に一応属することを前提にしているものと解することができる。しかして,原告の主張する背広等の被服費の支出も,勤務上必要とした部分を,他の部分と明りように区分することができるときは,当該部分の支出は必要経費になると認める余地がある。

しかしながら,本件においては,原告がその主張する被服費を支出したとの事実を認めるに足りる証拠がないので,これ以上判断するに及ばない。

クリーニング代については以上述べたところとほぼ同様のことがいえる。散髪代は,一般に家事費と認めるのが相当である。しかし,いずれについても,原告がその主張する代金および料金を支出したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) 通勤費について

思うに,給与所得者が使用者に対し労務を提供するため,住居から勤務先にまで通勤するに要する通勤費は,勤務のために必要な費用であるという性格を有することは明らかである。しかし,現今は住宅事情が非常にひつぱくしているとはいえ,なお,一般的には,住居の選択には,個人的な消費生活に関連する面の存在することも否定し難い。したがつて,通勤費は無制限に必要経費を構成するものではなく,社会通念に照らし,わが国における今日の社会的諸条件上通常必要と認められる範囲を限度として必要経費になるものと認めるのが相当である。そして,ある大学の専任教授が非常勤講師として他大学に通う場合におけるその通勤費は,以上述べたところと多少趣旨を異にし,この場合の通勤費は住居の選択と直接の関係を有しないから,その実費は必要経費になるものと解するのが相当である。

しかしながら,本件においては,原告がn大学およびo大学の非常勤講師であることは,弁論の全趣旨によりこれを認めることができるが,その主張する電車,タクシー代を支出したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) 研究費,学会費,学会出張費について

思うに,個人的な趣味や教養等のためのものではなく,当該給与所得者の地位,職種により,勤務(ないし職務)上必要もしくは有益な知識ないし技術を取得,維持または発展させるために必要な研究費については,勤務(ないし職務)のために,または,勤務(ないし職務)について生じた費用という面の存在することを肯定できる。そして,また,証人b,同cの各証言および原告本人尋問の結果によれば,大学教授の職務は単に既得の知識を学生に教授するものではなく,自己の専門研究活動にいそしんで初めてよく学問ならびに教育水準を維持,発展させ,その職責を全うすることのできる性質のものであり,したがつて,学生に対する教授活動と自己の研究活動とは不即不離の如き関係にあること,ならびに,学会は一般に大学教授として加入を強制される性質のものではなく,任意加入制であるが,専門を同じくする高度の研究者の集団として,大学教授にとつては自己の専門分野の学会に加入することは,その学問水準を維持発展させるため一般に必要不可欠であるとの事実を認めることができ,右認定の事実によれば,給与所得者である大学教授は教授者であると同時に学術研究者であると認めることができ,したがつて,原告主張の書籍代,コピー代等の支出は,個人的な趣味や教養等のための部分と明りように区分できるときは,当該部分の支出は職務上必要なものとして必要経費を構成すると認める余地があり,また,学会費および学会出張費も原告の職務上一般に必要なものとして必要経費を構成すると認める余地がある。

しかしながら,本件においては,原告がその主張する書籍代等を支出し,学会に加入して会費を支払い出張をしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(4) 学生関係費,交際費について

原告がm大学の教授であることは当事者間に争いがなく,また,原告が同大学の重量挙部の顧問をしている事実は原告本人尋問の結果により認めることができるが,原告が,その主張する学生関係費および交際費を支出したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

原告が必要経費と主張する各費用が必要経費を構成するものであるかについての判断は,以上のとおりであり,結局,本件においては,原告がその昭和三九年中の給与収入一七〇万七,〇九〇円を得るために実際に必要とした経費額が法所定の給与所得控除額(一三万五,〇〇〇円)を超過しているとの事実は認めることができないものである(給与所得控除額のうち,必要経費の概算控除分と目される,その主要な部分をも超過しているものとは認めることができない。)。」

(四) 給与所得控除制度の合理的根拠の有無につき,検討する。

「(1) まず,給与所得の意義は前記(二)2(1)において判示したとおりに解される。これに対し,法九条一項四号によれば,事業所得とは「商業,工業,農業,水産業,医業,著述業その他の事業から生ずる所得(ただし,山林所得および事業用の固定資産の譲渡による所得を除く)」であるとされている。所得税法の右規定によれば,事業所得とは,給与所得の意義に対比して述べると,委任契約その他これに類する原因に基づいて,事業所得者自身の責任と計算において,独立性を保有してなす労務に基づく成果の対価として受ける金銭的給付をいうものと解することができる。したがつて,給与所得と事業所得とは,前者においては専ら労務自体の提供が問題となり,しかも,その労務には独立性が保有されていないのに対し,後者においては,労務自体は問題とならず,その成果が問題となり,したがつてそれに必要な労務は所得者の責任と計算の下に自主的になされるものであるという点において,その法律的性格を著しく異にすると認められる。

(2) 給与所得についても,理論上,事業所得等のその他の所得と同様に,収入を得るために必要な費用たる必要経費の存在を肯認することができ,給与所得の必要経費の意義については,所得税法上の規定は存しないが,基本的には,事業所得等のその他の所得におけるのと同様に解すべきであることは,それぞれ前に判示したとおりである。

しかしながら,給与所得者と事業所得者とでは,その置かれている所得の発生環境に著しい相違がある。すなわち,給与所得者は使用者との間の雇傭契約に基づく労務提供の対価として給与収入を受けるものであるため,収入金額は雇傭契約により概ね一定額に確定しており,しかも,勤務(ないし職務)上特に必要な机,イス,文房具等の諸設備,用具,備品等は使用者において備付け,また,通勤費,出張転勤旅費その他勤務(ないし職務)上特に必要な宿舎,食料,制服等は現物または金銭で使用者が一般に支弁しているのがわが国の実情であり,そして,これらの給付のほとんどは法令,通達により非課税の取扱いになつているものである(職務上必要な旅行の旅費につき法六条三号,通勤手当(昭和三九年当時は月額九〇〇円以下),国家公務員の公邸無料宿舎の家賃相当額,専ら雇傭主の必要により居住する場合の寄宿舎等の家賃相当額,常時交替制の昼夜作業に従事する者等に提供される家屋の家賃相当額,船舶乗組員に支給する食事,たまたま残業または宿直をする者に支給する食事,警察職員等の職務上制服の着用を要する者に交付される制服等につき,旧所得税基本通達二一〇および関連個別通達参照)ため,収入の増加と直接に結びつくような費用の存在を,一般には,容易に考え難い状況である。これに対し,事業所得者は,自己の責任と計算において,あるいは委任事務を処理し,あるいは物品を販売し,あるいは請負工事を完成させる等をなし,その対価として事業収入を得るものであるので,収入をあげるために原材料を仕入れ,人を雇入れ,販売促進活動等をする必要が明らかにあり,また,これらの費用の投下を増加すれば,一般的には,それに応じて収入もまた増加すると考えられるので,経費の投下と収入の稼得と,の間に直接的な結びつきを比較的容易に認めることができるという環境にある。

(3) また,給与所得者の場合には個人的な生計のための支出と勤務(ないし職務)のための支出とが同居していて,事業所得者の場合に比べると,一般に,必要経費と家事費ないし家事関連費との実際上の区別が著しく困難な状況である。例えば,被服費を例にとつていえば,被服は個人の趣味嗜好等によりその種類,品質,数量等を著しく異にし,勤務上のみならず,勤務外でも着用することが多いものであるため,いかなる基準をもつて勤務用と非勤務用とを区別するか,その客観的合理的な基準は容易に見い出し難く,その判定は著しく困難であり,そのため,一定割合(ないし一定数額)により概算的に控除せざるをえない場合が多いと認められる。これに対し,事業所得者の場合にも,企業(店)と家計(奥)とが完全に分離しているものとは,特に農業所得者や零細規模の事業所得者については,認めることはできないが,それでも,例えば,原材料の仕入費,人件費,販売促進費等のように収入との直接的な結びつきが強く,明らかに必要経費を構成するものが多く,給与所得者と比べると,必要経費と家事費および家事関連費との区別は一般的には比較的容易である。したがつて,事業所得者の場合には,必要経費を個別的に控除するとしても,給与所得者におけるほどの困難はないものと認められる。

(4) 後記認定のとおり,給与所得者の納税者数は現在一,八〇〇万人以上の非常な多人数であり(なお,昭和四二年度は一,八〇四万人,農業所得者を含めた事業所得者の同年度の納税者数は一八五万人である。),このような状況の下で,選択的実額控除制度を採用するとすれば,実額控除を求めるのはそのうち一部の者のみにすぎないとしても,該申告処理上の事務量の相当な増加は必至であり,したがつて,税務職員数の増加も不可避であり徴税費が現在以上に相当高くつくことになることは免れない。また,このように給与所得者の納税者数が非常に多く,しかも,前叙のとおり,給与所得においては必要経費と家事費および家事関連費との実際上の区別が著しく困難であることを考え合わせると,このような状況の下で選択的実額控除制度を採用するときには,税務行政執行上少なからず混乱が生ずることは,少なくとも制度の発足当初から当分の間は避け難いと認められる。

(5) また,現在のわが国の給与所得者には,各種の費用の支出を明確にし,その必要経費性を証明しうるように領収証その他の証書類を受領保存したり,家計簿等に記帳する慣行は,一般的には,未だ十分に成熟していない状態であると認められる。この点,事業所得者の場合には,企業管理や債権債務の管理上ある程度必然的に記帳をする必要性があるのと状況を異にする(後記のとおり,昭和四二年当時における事業所得者の青色申告の普及割合は五八・六%であるが,これは法定の帳簿書類を作成備付けている者を示す数字であつて,白色申告者でも何らかの帳簿を作成したり,原始伝票類を保存したりしているのが普通である。)。このような状況の下では,給与所得者に必要経費の選択的な実額控除制度を認めるとしても,証書類を整え,記帳をしている一部の者のみしか,実際上は実額控除をなすことができないのではないかという虞れが生じてくるのは避け難い。

(6) しかし,抽象的にみて必要経費の概算控除制度には,個別的な証明を要せずして,仮に実際の経費額が法所定の額に満たなかつたとしても法定額の控除が認められるという給与所得者にとつて一般的に有利な側面と,仮に実際の経費額が法定額を上回つたとしても法定額を超過する分を控除することが認められないという給与所得者にとつて一般的に不利な側面とが存在すると考えられることは否定し難いところであり,そこで,給与所得者に概算控除の方法のほか,これと選択的に実額控除の方法を認めるときは右の不利な側面は払拭されることとなるが,今度は逆に,実額控除の方法しか認められていない事業所得者等との間に均衡を失する虞れが生じてくる(次記(7)認定のとおり,この点,選択的実額控除制度を採用している西ドイツにおける概算控除額が比較的僅少であることが注意される。)。このような意味では,現在の制度の下において,給与所得者と事業所得者とを全体として比較した場合,かなり均衡の保たれる仕組みになつていることが窺知できる。しかし,さらに,それでも,個々の給与所得者についてみれば,実際の経費額が法定額を上回るのに,その超過分の控除を認められない者のありうることは推測するにさほど困難はないところであり(昭和三九年度の給与所得者の納税者数は一,七一八万人であり,そのうち,原告と同様に,給与所得控除限度額一三万五,〇〇〇円の適用を受けた年収八一万七,五〇〇円をこえる者の数はその一四・一%の二四二万人であり,給与所得控除制度には前叙のとおり必要経費の概算控除以外の内容を含んでいるとしても,右の限度額適用者のすべての者の実際の経費額が法定額以内に収まつているものとは容易に断言できない。),したがつて,法所定の控除額を幾らに定めるかということが非常に重要な意義を持つてくるものであり,その額については,物価の上昇や生活水準の向上等の事情の変転に応じ,不断に改善していく必要が感ぜられるところである。そして,原告が本件課税処分において控除を認められた金額は,収入金額の七・九%に相当する一三万五,〇〇〇円であり(この点は当事者間に争いがない。),決して多額なものであるとはいい難いが,その控除率を所得発生環境を異にする事業所得者の経費率と比較することには十分な意味を見い出すことはできず,また,本件において,原告が実際に必要とした経費額は一三万五,〇〇〇円(およびそのうち,主要な部分と目される額)を上回つているとの事実を認めることができないことは前記のとおりである。」

(7) 欧米諸国での制度との比較について,「わが国と欧米では,一般的にいつて,欧米においてはわが国と異なり,納税思想・観念が非常に徹底しており,記帳の慣行もかなり高程度に成熟し,給与所得者の雇用条件ないし状態等においてもわが国とかなり著しい相違があつて,その置かれている経済的,社会的状況は必ずしも同様ではないと認められる。

以上の事実が認められる。右認定のわが国の給与所得者の置かれている所得発生環境ないし雇用状態の特殊性,給与所得の必要経費の区別の困難性,給与所得者の記帳の慣行の未成熟,選択的実額控除制度を採用した場合に予見される徴税費の上昇,税務行政執行上の混乱等の新たな弊害の発生の懸念等の現在のわが国の給与所得者をとりまく社会的,経済的諸事情を総合して考察するに,選択的実額控除制度が唯一の合理的な制度であつて,給与所得控除制度(給与所得の必要経費の概算控除制度)が合理的な根拠を欠く制度であるとは未だこれを認めることができず,他に給与所得控除制度(給与所得の必要経費の概算控除制度)が合理性を欠いているものであるとの事実はこれを認めるに足りる証拠がない。」

二 捕捉率の格差について

次に,給与所得の捕捉率(所得税法上客観的に存する所得に対する税務当局により現実に把握(捕捉)された所得の比率)と事業所得および農業所得等の申告納税にかかる所得の捕捉率との間に,著しく,かつ,恒常的な格差が存在しているか否かにつき,検討する。

(一) 所得種類別の所得税負担の状況等

「(1) まず,給与所得,事業所得および農業所得の所得種類別の所得者数,納税者数および後者の前者に対する割合(納税者割合)の推移の状況は別表(一)記載のとおりである。すなわち,これによれば,給与所得者の納税者数は,昭和二五年には約九九〇万人であつたが,その後著しい増加を続け昭和四二年には昭和二五年に比べて一八一・六%増の一,八〇四万人(昭和三九年は一,七一八万人)にも達しているのに対し,事業所得者の納税者数は昭和二五年の一九八万人から昭和四二年には二二%減の一五五万人(昭和三九年は一三〇万人)に減少し,農業所得者の納税者数も昭和二五年の一八四万人から昭和四二年には僅かその一六・三%の三〇万人(昭和三九年は二五万人)に激減しており,また,納税者割合については,各所得者とも昭和二五年当時に比べると減少しているものの,給与所得者の昭和四二年における納税者割合は五九・八%(昭和三九年は六四・四%),で一〇〇人中五九・八人が納税者であるという勘定になるのに対し,事業所得者の同年における納税者割合は二七・一%(昭和三九年は二四・九%),農業所得者の同年におけるそれは僅か九・四%(昭和三九年は七・二%)にしかすぎず,給与所得者,事業所得者および農業所得者の三者間には,その納税者割合の数値上著しく大きな差(昭和四二年における前記給与所得者の納税者割合を一〇とすれば,事業所得者は四・五,農業所得者は一・六の比率)が存在している。

(2) 次に,前叙給与所得等三種の所得種類別の所得者一人当たり所得金額の推移の状況は別表(二)記載のとおりである。すなわち,これによれば,昭和三九年における給与所得者一人当たりの所得金額は四一万四,九一二円で, 昭和三二年を基準にしてみると一九九・三%の伸び率を示している(昭和四〇年は四五万三,二八〇円で二一七・七%の伸び率)のに対し,事業所得者の同年における一人当たりの所得金額は五七万六,九六〇円で,昭和三二年に比べて一九七・八%の伸び率であり(昭和四〇年は六一万四,四五五円で二一〇・六%の伸び率),農業所得者の同年におけるそれは三一万七,九六八円で一六五・〇%の伸び率(昭和四〇年は三四万〇,五四三円で一七六・七%の伸び率)であり,給与所得者の一人当たり所得金額の伸び率は事業所得者および農業所得者に比べて特に大きいものとはいえず,農業所得者よりは多少伸び率が高いものの,事業所得者とはほぼ同水準にある。伸び率ではなく,所得金額の多寡の点は,事業所得者が最も多く,次いで給与所得者,農業所得者の順であり,昭和三九年における給与所得者の前記所得金額を一〇〇とすれば,事業所得者は一三九,農業所得者は七六の比率であつて,給与所得者は農業所得者よりは幾分高いが,事業所得者よりは幾分低いものになつている。

(3) 次に,前叙給与所得等三種の所得種類別の国民所得,課税所得(所得税の課税対象になつた所得),および後者の前者に対する割合(所得税の課税範囲),所得者一人当たりの国民所得,納税者一人当たりの課税所得の推移の概況は別表(三)記載のとおりである。すなわち,これによれば,経済企画庁国民所得統計による国民所得金額(これは推計による数字を本質とする。)と国税庁の税務統計による課税所得金額(これは税務当局により現実に把握された実数を本質とする。)とを比較するに,昭和四二年を例にとれば,給与所得については国民所得が一八兆四,〇四九億円,課税所得が一三兆六,一九三億円と両者の間にあまり大差がなく,したがつて所得税の課税範囲も七四・〇%と極めて高率に達しているのに対し,事業所得においては,国民所得が四兆四,二九三億円,課税所得が一兆三,六九六億円と両者の間にかなりの差があつて,所得税の課税範囲も三〇・九%にとどまつており,さらに農業所得においては,国民所得が二兆四,八六〇億円,課税所得が一,七七一億円と両者の間に非常に大きな差があり,所得税の課税範囲も,給与所得の一〇分の一弱,事業所得の四分の一弱の僅か七・一%にしかすぎないものになつている。そして,右三所得間の昭和四二年における所得税の課税範囲の比率は,給与所得の前記数字を一〇とすれば,事業所得は四・二,農業所得は〇・九六と非常に大きな相違がある。

また,給与所得者一人当たりの昭和四二年における国民所得金額は六〇万九千円(昭和三九年は四五万一千円)で,前叙の所得者一人当たりの所得金額の状況と比較するため昭和三一年を基準にとつてみると(昭和三二年は統計資料がない)二八六%の伸び率であり(昭和三九年は二一一%の伸び率),そして事業所得者の同年におけるそれは七七万三千円(昭和三九年は六二万七千円)で,昭和三一年に比べて二八一%の伸び率(昭和三九年は二二八%の伸び率)であり,農業所得者については昭和四二年を除き,その他の年度については第二種兼業農家を含めた所得者数が不詳であるため(別表(一)記載の所得者数は専業農家と第一種兼業農家の合計数であり,国民所得統計はそのほか第二種兼業農家も含んだ数字であるため,所得者一人当たりの国民所得金額を算出するには第二種兼業農家を含めた所得者数が明らかにされなければならない。),一人当たりの国民所得金額を算出することはできないが,昭和四二年の農業所得者一人当たりの国民所得金額は四五万九千円であり,昭和四二年における右三者間の国民所得金額の比率は,給与所得者の前記金額を一〇〇とすれば,事業所得者は一二七,農業所得者は七五であり,前記(2)において認定した所得者一人当たりの所得金額の比率とほぼ同じ数値を得ることができる。また,昭和四二年における納税者一人当たりの課税所得金額は,給与所得者が七五万五千円,事業所得者が八八万三千円,農業所得者が五九万一千円であり,右三者間の比率は給与所得者の右金額を一〇〇とすれば,事業所得者は一一七,農業所得者は七八である。」

「(4) ところで,所得税法は,所得者の所得金額の多寡や世帯構成等の事情に応じて所得税の負担を異にする建前を採つているので,給与所得と事業所得,農業所得との間の捕捉率の格差の有無を検討するには,さらに所得種類別の所得階級別分布状況,所得者の世帯構成等の事情を考察しなければならないところ,」考察した結果としては,「(1)ないし(3)認定のような状況の存在を所得税法上の所得税の課税の仕組みや制度の相違という事実のみでは十分合理的に説明し尽せないものが残る状況である。」

「(5) 次に,前叙給与所得者等三種の所得者の一世帯当たりの世帯員数(ただし,昭和四二年)は,給与所得者が三・三人,事業所得者が四・二人,農業所得者が五・一人であり,また,配偶者控除(法一一条の九,現行法八三条)または扶養控除(法一一条の一〇,現行法八四条)の適用を受けた扶養人員の員数は,全給与所得者を対象にした数字が不詳であるので民間企業の給与所得者についてみると,民間企業の給与所得者一,九四〇万人(ただし,昭和四二年)のうちその員数は九二八万人で,その扶養人員のあるものの割合は四七・八%(昭和四〇年は四八・一%)であり(換言すれば,残り五二・二%の者は扶養人員を有していない),また,該扶養人員の内訳は配偶者が七五一万人,扶養親族が一,五六二万人(計二,三一三万人)で,扶養人員のあるものの一人当たり平均扶養人員は二,四九人であり,以上の数字は,前述のとおり,公務員を除いた民間企業の給与所得者のみの数字であるが,扶養人員およびその内訳数は別として,所得者のうち扶養人員のあるものの割合と一人当たり平均扶養人員数については公務員も給与所得者として民間企業の給与所得者とほぼ同じ水準にあるものと認めるのが相当であるので,結局,給与所得者全部(昭和四二年,三,〇二〇万人)を通じ,そのうち扶養人員のあるものの割合は約四七・八%であり,扶養人員のある者の一人当たり平均扶養人員は約二・四九人(計約三,六〇〇万人)であると認められる。また,事業所得者および農業所得者についても,扶養人員のあるものの割合等の数字を直接に認めるに足りる証拠を欠くが,事業所得者および農業所得者は一世帯当たりの世帯員数が給与所得者より〇・九人(事業所得者)ないし一・八人(農業所得者)ほど多いという事実に照らして考えると,事業所得者および農業所得者のいずれとも,所得者のうち扶養人員のある者の一人当たり平均扶養人員は給与所得者におけるよりも,右の差数をそのまま給与所得者における数字に加算するのは必ずしも適当でないとしても,多少の程度は多いものと認めるのが相当である。なお,昭和四二年度分所得税についての配偶者控除額は一四万五,〇〇〇円,扶養控除額は,各扶養親族につき(ただし,控除対象配偶者のある場合に限つて述べる)一律七万円である(昭和四二年法律第一四号による改正法附則三条参照)。

さらに,事業所得者の青色申告の普及割合は五八・六%(ただし,昭和四二年,したがつて,残り四一・四%の者は白色申告である。)であり,農業所得者の同年におけるそれは四・七%(したがつて,残り九五・三%の者は白色申告である。 )であるところ,青色申告者(ただし,事業所得者および農業所得者のほか,不動産所有者,山林所得者も含む)のうち,青色事業専従者控除(法一一条の二,二項,現行法五七条一項)の利用を受けた人員の割合(ただし,昭和四二年)は六九%で,被控除専従者数は一一九万人,控除金額は,二,五三四億円であり(なお,以上の数字は,事業所得者および農業所得者のほか,不動産所得者,山林所得者も含めたものであるが,事業所得者および農業所得者の合計は青色申告者総数の約九八%を占めているので,事業所得者および農業所得者の二者のみでほぼ同水準にあるものと認めることができる。),また,白色申告者(ただし,事業所得者および農業所得者のほか,不動産所得者,山林所得者も含む)のうち,白色事業専従者控除(法一一条の二,三項,現行法五七条三項)の利用を受けた人員の割合(ただし,昭和四二年)は四一%で,その被控除専従者数は一,一二二万人,控除金額は一,六六一億円であり,昭和四二年度当時の青色事業専従者控除額は年齢差なしの一律二四万円,白色事業専従者控除額は一律一五万円である(昭和四二年法律第一四号による改正前の法五七条一項,三項参照)。

(6) 以上のように,一方において,給与所得と事業所得および農業所得との間には,納税者割合および所得税の課税範囲について著しく大きな差があるところ,他方において,所得者一人当たりの所得金額ないし国民所得,所得水準およびこれらの伸び率には特に大きな差はなく,三所得者の配偶者控除,扶養控除の適用状況もほぼ同水準であり,事業所得者および農業所得者の事業専従者控除の利用状況等諸般の事実を考慮しても,未だ三所得者間の前叙のような大きな差の存在を十分合理的に説明し尽すには不十分であり,他に以上のような状況の発生を十分合理的に論証するに足りる証拠はなく,したがつて,以上のような状況の存在は給与所得の把握(捕捉)が事業所得および農業所得の把握(捕捉)よりもある程度高いものになつていることを推測させるものである。」

(二) 税務当局の所得調査の状況等

「(1) 事業所得および農業所得については,所得税法上納税義務者自らが課税標準および税額を計算して国に申告納税する建前が採られているところ,該申告納税の方法には,納税義務者が税務署長の承認をうけて一定の帳簿を備付け,その帳簿書類に基づいて所得を計算して申告(確定申告および修正申告)する青色申告の方法(法二六条の三,現行法一四三条)とその他の一般の納税義務者のする白色申告の方法(法二六条,現行法一二〇条)とがあり,青色申告者は仕訳帳,総勘定元帳等の帳簿の備付け,貸借対照表,損益計算書,たな卸表等の書類の作成を法律上義務づけられている(法二六条の三,現行法一四八条,一四九条)反面,税務当局より帳簿書類についての調査を受けない限り,原則として,更正されないことが保障されている(法四五条,現行法一五五条)が,白色申告者にはかような帳簿書類の備付,書類の作成が法律上義務づけられておらず,したがつて,帳簿書類についての調査を受けなければ更正をされないとの保障も存在していない。

なお,申告納税制度は租税制度の民主化を進めるという立場から,従来の賦課々税制度に代つて昭和二二年に採用された制度であり,また青色申告制度は,記帳の程度と能力を高め申告納税の実を上げるという見地から,シヤウプ勧告に基づき昭和二五年に創設されたものである。

(2) 事業所得者および農業所得者のほか,給与所得者を除くその他の所得者を含めた申告納税者の総数は,昭和四三年には約三九二万人(ただし,昭和四三年度分の所得税について申告納税額のある者に限る。)であり,また,事業所得者および農業所得者の青色申告状況については,まず,事業所得者の納税者数は,昭和四三年には一七三万八千人で,そのうち青色申告者数は一二七万三千人であり(したがつて,残り四六万五千人は白色申告者),右青色申告者数を右納税者数プラス青色申告者のうち扶養控除等の諸種の控除規定の適用を受けた結果課税標準または納付すべき税額がなくなつた控除失格者等数(三四万四千人)の数値で除して求めた青色申告の普及割合は六一・一%(ただし,内訳は,営業所得者が六六・七%,その他が二六・九%)であり,次いで,農業所得者の昭和四三年の納税者数は五〇万四千人,そのうち青色申告者数は二万四千人(したがつて,残り四八万人は白色申告者),控除失格者等数一万二千人で,青色申告の普及割合は四・七%である。また,青色申告の普及割合の推移状況は,農業所得者が昭和三九年六・五%,昭和四三年四・七%とやや下降気味であるのに対し,事業所得者は昭和三九年三九・四%,昭和四三年六一・一%と四年間に二〇%強と著しい伸び率を示している。

そして,近年,青色申告の量的な普及が著しいばかりでなく,税務当局の記帳指導や納税者の納税観念の向上により,記帳能力も一般的にはかなり著しく向上していると認められるが,青色申告者のうち,例年五%位の者(例えば,昭和四三年には,同年三月一五日現在の事業所得者たる青色申告者約一三五万人のうち約六万八千人が青色申告の承認を取消される等によつて青色申告者でなくなつているが,右青色申告者の減少理由は承認取消によるものがほとんどである。)が青色申告の承認を取消されており,青色申告といえども必ずしも適正なものでなく,所得調査の必要のあることを窺わせている。

(3) 次に,申告納税にかかる所得(申告所得)に対する税務当局の調査の実態は以下のようなものである。

(イ) まず,青色申告者に対する調査の概要をみるに,税務当局は,青色申告者のうちの三,四割について,毎年,確定申告前に,その備付けている総勘定元帳,仕訳帳,金銭出納帳等の帳簿書類を,多くの場合は事業所に税務職員が赴いて調査するとともに記帳や決算に関する指導を行つており(なお,税務当局の事務年度は一一月一日に始まる例であり,同日から確定申告期限である翌年三月一五日までと同月一六日以降翌年一〇月末日までの期間を一応区分し,前者の期間における調査を事前調査,後者の期間における調査を事後調査と称することができる。),この場合税務当局は,過去の申告実績等に基づき,各青色申告者についてその誠実度を一応識別して効率的な調査の遂行を図つているものであり,伝票類を一枚一枚チエツクすることはしていないが,不審を抱かせるような記載のある伝票はチエツクして突き合わせをなし,在庫品調査も全部についてはしていないが,業種その他の事情により必要と考えられるものについては在庫品調査を行つている。

なお,税務当局は,法律(法六三,六四条,現行法二三四,二三五条)により,所得税に関する調査について必要があるときは,納税義務者等に質問し,または,その者の事業に関する帳簿書類その他の物件を検査し,および事業を行う者の組織する団体にその団体員の所得の調査に関し参考となるべき事項を諮問する権限を有しているものである。

青色申告者に対する事前調査は,右のとおり,毎年,全員ではなく,三,四割の者を対象にしているにすぎないが,これは,原則として三年に一回の割で調査を一巡し,その際,調査年度の当年度分のほか,前年度,前々年度分も合わせて一括調査する仕組みになつているものである。

(ロ) そして,確定申告後において,事前調査を経たもの,経なかつたものの両者を通じ,過少申告の疑いのある青色申告者に対しては,事後調査として,事前調査の実績,取引先から収集してある資料,被調査者の過去五年間位の税歴,決算内容,同業者との比較等の検討を行い,必要がある場合には,例えば仕入先等の取引先を対象にして取引の実態を確認するための裏付調査である反面調査さらには銀行調査(反面調査先が銀行の場合)をすることもあるかなり精密な調査を行つている。そして,事業規模が非常に大きいとか,取引形態が非常に複雑であるような場合には,さらに一層精密な特別調査を行う場合もある。すなわち,所得調査の方法は,主にその精密の度合により,事業規模が小さく,複雑な帳簿もない所得者を対象とし,主に損益計算書に関する事項(例えば,売上げ額がいくらであるとかの事項)について調査をなすのみで,貸借対照表に関する事項や反面調査をほとんどしない簡易な調査(簡易調査)と,比較的事業規模の大きい,または,複雑な帳簿のある所得者を対象とし,損益計算書に関する事項のほか,貸借対照表に関する事項についても調査を行い,場合によつては反面調査,銀行調査をすることのある精密調査と,事業規模の非常に大きい,または,取引形態の非常に複雑な所得者を対象とし,一般の精密調査よりさらに一層精密な調査をする特別調査とを概念上区別することができる(ただし,別に,右と体系を異にした刑事訴追を目的とする査察調査がある。)ところ,青色申告者に対する事後調査としては,一般の場合には精密調査を,そして特別の場合には特別調査を行つている訳である。

なお,精密調査に費す日数は,必ずしも一定していないが,三日ないし四日間位が普通であり,また,青色申告者については,従業員数,機械台数その他の事業規模等の外形的事実を基礎にして所得を推計して課税をすることが法律上許されていない(法四五条,現行法一五六条)ため,所得調査に際して後述の効率表,標準率表を使用することはない。

そうして,事後調査の結果,過少申告の事実が判明したときは,申告者に修正申告をしてもらうことを基本方針としているが,修正申告に応じない場合には更正決定をし,場合によつては青色申告の承認を取消す(法二六条の三,一〇項,現行法一五〇条)に至る場合もある。

(ハ) 次に,白色申告者に対する調査の概要をみるに,税務当局は,毎年,確定申告前に,白色申告者のうち比較的所得金額の少い所得者(少額所得者)の二分の一位について,前述の主に損益計算書に関する事項について調査をなし,貸借対照表に関する事項については調査しないことが多いところの簡易調査を行つており,この場合,事業概況書の提出を求め,事前に,被調査者の半分位の者につき製造業者等の取引先から資料を収集しておき,過去の調査歴等の記録も参考にして調査するが,反面調査はほとんどしていない。そして,簡易調査では真実の所得を把握し難いと考えられる場合には精密調査に移行することがある。残りの二分の一位の少額所得者に対しては,確定申告の段階で,右とほぼ同程度の調査を行つている。なお,白色申告者は一定の帳簿書類の作成備付を法律上義務づけられていないというだけであつて,必ずしも何らの帳簿書類も有していないとは限らず,むしろ何らかの帳簿書類を有しているのが通常であり,帳簿があるときは帳簿を,帳簿がないか不完全である場合には,伝票類等の原始記録の持参を求めて調査をしている。

(ニ) 白色申告者のうち比較的所得金額の多い所得者(高額所得者。なお,高額所得者と少額所得者の区別の基準は固定的なものではない。)に対しては,毎年,確定申告前に,そのうち三割位について,前述の損益計算書に関する事項のほか,貸借対照表に関する事項および必要のある場合には反面調査,銀行調査もすることのある精密調査を行つており,残りの者については確定申告の段階で,過去の調査実績,税歴,事前に取引先や銀行に照会などして得た資料,同規模の同業者との比較等の検討を行い,納税指導をしている。なお,毎年,三割位の者について事前調査をするというのは,青色申告者におけると同様,原則として三年に一回位の割合で調査を一巡し,その際,前年度,前々年度分も一括調査する仕組みになつているものであり(白色の少額所得者についても同様),また,潜在納税者を対象にした,新規の納税資格者を発見するための調査も事前調査の時期において行つており,この場合の調査方法は,営業の許可,認可届を調べたり,被調査者の本人宅に赴いたりして行つている。

(ホ) 白色申告者は多くの場合帳簿書類が十分に整備されていないし,現金商売などの場合には事後調査では所得の把握が一層困難であるので,事前調査をしなかつた者についても,申告時の段階において,事業概況書の提出を求めたりして納税相談による指導をなし,ほとんど一〇〇%近くの者について接触しているが,なお調査を要すると認められる極く少数の白色申告者については事後調査を行つている。この場合の事後調査は,青色申告者と基本的に同様であり,事前調査の実績,取引先から収集した資料,過去五年間位の調査歴,その業種の景気の動向,決算内容,同規模の同業者との比較等の検討をし,必要あると認められるときには反面調査,銀行調査をすることもある。さらに特別調査をする場合もある。

ところで,帳簿書類その他の所得を算定するに必要な具体的資料を欠く白色申告者については,税務当局は,法律に基づき,その者の財産ないし債務の増減の状況,従業員数その他の事業の規模,その他の収集資料や調査結果を総合して,推計により収入金額,純益額を算出し,課税をなしているが,この場合に,ひとつの目安として,一定の業種の年間の収入金額(売上額)を推計するものとして所得業種目別効率表(効率表)を,純益額ないし利益率(所得率)を推計するものとして商工庶業等所得標準率表(標準率表。なお,農業所得者については,別に田畑所得標準率表がある。)を利用している。効率表は,ある業種の外形要素の単位当たり(例えば,働き手一人当たり)の年間売上額の平均値を表わしたもので,これにより年間売上額を一応把握し,また,標準率表はある業種の売上額に対する利益割合(所得率)の平均値を表わしたもので,これにより課税対象となる所得金額を一応把握する訳であるが,これらはあくまで推計課税をする場合に,ひとつの資料ないし目安として利用しているものである。

そうして,事後調査の結果,過少申告の事実が判明したときは,青色申告者の場合と同様,申告者に修正申告をさせることを基本方針にしているが,それに応じない場合には更正決定をする。

(ヘ) 農業所得者のうち,白色申告者たる農業所得者に対しては,税務当局は,田畑所得標準率表を活用して推計課税を行つている。同表の標準率は市町村等の地域ごと,または山間部,平坦部等の地帯区分ごとに検見や在庫米調査をして収穫量を調査して収入金額を算出し,さらに幾つかの標準農家について実態調査をして標準経費額を算出して作成されるものである。

(ト) 申告所得の調査を担当している税務職員一人当たりの要処理人員(納税者のほか,新規に申告納税を要するか否かが問題になるところの納税者に近接した無資格者も含む)は地域により必ずしも一定していないが,一五〇人位の少数ではなく,概ね三〇〇人位には達しているのが実情である。ただし,税務職員は概ね納税者数に応じて配置される例であり,また,必要のある場合には他の部署の職員が応援することもある。

(チ) 税務当局の申告所得に対する所得調査の実態の概要は以上のようなものであり,それは被調査者の青色,白色の申告方法の別,事業規模の大小,取引形態の複雑簡易の別や,誠実な態度の有無,調査時期等の諸般の具体的事情に応じて極めて弾力的,かつ,効率的に行われているものと認めることができる。しかしながら,また,同時に,税務当局の調査にも調査方法上,当局の人的物的能力ないし事実上一定の限界が存し,例えば,事業所得者が営業用自動車を個人的な消費生活に使用したような場合には,その部分のガソリン代等を営業上使用した部分と区別して必要経費から除外するのは実際上不可能に近く,また,事業所得者や農業所得者の自家消費分は本来売上げに計上すべきものであるが,申告者が自発的に売上げに計上しない場合にも,税務当局はこれをチエツクする有効な手段を保有していないものであり,さらに,新聞等により時々報道される事業所得者等の脱税事件の摘発例は,すべての脱税者が摘発され所得が完全に把握済になつたか否かの点について,なお,払拭し難い疑念を残すものであり,このようにして,申告所得については,実際上,ある程度の把握もれが生じていることを容易に否定することのできない事情が存する。」

(4) また,所得金額増差割合について,税額を標準にしてみた申告所得税と源泉所得税の所得調査による増差割合の状況とほぼ同じ状況にあると推認するのが相当である。

「したがつて,課税水準(五年間の調査期間を経過した後の税務当局により現実に捕捉された最終的な所得水準)を一〇〇の状態とすれば,申告所得の申告水準(所得者の自主申告した所得水準)は八三・四,源泉所得(給与所得)のそれは九八・四で,五年間の所得調査によりその逆数分が捕捉された訳であり,申告所得の申告水準は給与所得に比べてかなり低いことが明らかである。

ところで,この点に関し,証人fは,申告所得と源泉所得(給与所得)とでは,五年間の調査期間を通算して,税務当局が所得調査をする前の申告時の段階では前記一対一六(正確には一・六対一六・六)の逆数である九九対八四の差があるが,この数値はあくまで申告水準を示すものにしかすぎず,その後五年間の税務当局の所得調査により脱ろうしていた所得はほとんど捕捉され,最終的な課税水準においては両者の均衡は保たれていて捕捉率に格差はない旨を証言するが,同証言は採用し難い。けだし,前記各数値はいずれも国税庁の統計年報書(乙第一四ないし第一六号証の各一ないし四)に基づくものであるが,これらはいずれも税務当局に現実に捕捉された所得の数値であつて,捕捉されざる所得については何ら触れるところがないものであるから,所得税法上客観的に存する所得と税務当局により現実に把握された所得との齟齬の問題である所得の捕捉率の格差の有無を解明する価値に乏しいといわざるをえない。かえつて,特に申告所得について,税務当局が五年間に一六・六%もの申告もれを発見して新たにこれを把握している事実は,調査の終了後(消滅時効期間の満了後)もなお,申告もれが残存している可能性を多分に推測させるものである。

(5) 事業所得および農業所得等についての自主申告納税制度に対し,給与所得については,給与所得の支払者が源泉徴収義務者として,その給与所得の支払の際に所定の所得税を徴収しこれを国に納付する源泉徴収制度が採用されている(法三八条,現行法一三八条。ただし,同制度は申告納税の基本原則に反するものではなく,その一態様と解するのが相当である。)。同制度は,自主申告納税制度と異なり,所得の源泉において所得を把握し,所得税を徴収するものであるので,申告所得に比べ,制度上,一般的に,所得の把握は容易,かつ正確なものと推認されるところであつて,この点は,前叙のとおり,税制調査会においても認められているところである。

源泉徴収にかかる給与所得の申告水準が,申告所得に比べて,課税水準の九八・四%と極めて高く,五年間の所得調査でもその逆数の一・六%しか増加していないことは前叙のとおりであるが,この事実は,給与所得の把握が極めて容易,かつ,正確であることを裏付け,ほぼ一〇〇%に近い程度に給与所得の把握がなされていることを強く推測させる。なお,給与所得の徴収もれとしては,同一人の扶養親族につき二重に扶養控除を受けたり,妻に収入があるのに配偶者控除を受けたり,勤務先から旅費名目で給与の支給を受けたり,闇給与の支給を受けたりするような例があるが,また,このような程度の例しか一般に存しない。

ところで,給与所得に対する源泉徴収制度は,簡便,かつ,能率的な徴税手続であつて,国は同制度によつて最少の費用と労力で税収を確保し(なお,徴税費は結局において国民の負担にはね返つてくる性質のものであることが注意されるべきである。),他方,給与所得者自身も同制度によつて申告,納付等の繁雑な事務を免れ便宜であり,ただ,給与所得者は同制度により毎月納税するため,二回の予定納税と翌年三月の確定申告によつて納税する申告所得者に比べて平均約五ヶ月程度早期に納税する結果を被つているが,その間の金利上の損失は給与所得控除によつて補填されているとみられることは前判示のとおりであり,他に,同制度が給与所得者に対して不利益を及ぼしているような事情は全く存在しないから,同制度は合理的なものと認められる。

源泉徴収にかかる給与所得に対する税務当局の調査の実態の概要をみるに,税務当局は,法人税事業所得者の所得税を調査する際,それと同時に調査(監査)をしたり,資料を収集したりすることがあるほか,一般に,原則として,五年に一回位の割合で(約五年で調査を一巡し,調査の際は当年度分のほか前四年度分も調査する例である。),調査(監査)を行つており,この場合,納付もれがないと推測されるときは書面による調査のみで済ますことが多いが,疑わしいときには賃金台帳その他の帳簿書類について,申告所得者と同様に精密な調査を行つている。」

以上より,「給与所得の把握(捕捉)にはほとんど脱ろうがなく,その捕捉率はほぼ一〇〇%に近いものであるのに対し,その他の申告所得,ことに事業所得および農業所得の把握(捕捉)は給与所得ほどには完璧なものではなく,従前よりある程度の脱ろうが存在しており,したがつて,給与所得の捕捉率は,その他の申告所得,ことに事業所得および農業所得の捕捉率に比べて,ある程度高く,両者間の捕捉率には,現在に至るまでかなりの長期にわたつて,ある程度の格差が存在しているものと認めることができる。しかして,右捕捉率の格差の程度は,一方,被告の主張する如く僅少なものにしかすぎないとは俄かに即断し難いが,他方また,原告の主張する如く,給与所得,事業所得および農業所得の順に,九(割)対六(割)対四(割)の割合であるとか,あるいは,一〇(割)対五(割)対四(割)の割合であるとかのように著しい格差が存在するとの事実も認めることができない。」

三 租税特別措置について

「次に,原告の主張する租税特別措置の合理的根拠の有無について,検討する。

(一) 思うに,租税特別措置は,一般に,特定の経済政策的目的を,特定の経済部門ないし国民層に対する租税の軽減免除という誘引手段でもつて達成しようとするものであり,国の経済政策の一環として重要な意義を有すると同時に,その反面,同じ経済的地位にある者に対しては同じ負担をという負担公平の原則を多少なりとも犠牲にし,また,所得税の総合累進課税構造を弱めたり,納税者の納税道義に悪影響を及ぼしたりする虞れのある性格を帯有しているものと認められる。しかして,特定の経済部門ないし国民層に対し財政上の優遇措置を講じる必要のある場合でも,税制以外の措置で有効な手段がないか否かを予め検討し,例えば補助金財政投融資の交付等(これらの場合には,助成度および助成効果の関連が比較的具体的に示され,政策目的と助成の対象との結びつきが直接的であり,毎年の予算においてその効果等を改めて判定できる等の利点がある。)によつて目的を達成しうる場合にはこれらの手段によるべきであり,また,個々の租税特別措置の合理性の有無を判断するに当たつては,当該租税特別の直接の政策目的が総合的な経済政策の観点から考え合理的意義を有しているか否か(政策目的の合理性,斉合性),その政策目的に対して当該租税特別措置が政策手段として有効であるか否か(政策手段としての有効性),当該租税特別措置から付随的に生ずる弊害をカバーしてなおあり余る程の政策的効果が期待されるか否か(附随して生ずる弊害と特別措置の効果との比較衡量)等の諸点について慎重な検討をなすことを要すると解すべきである。」

原告主張の租税特別措置はいずれもその合理的根拠に乏しく,租税特別措置の存在によつて税負担の不均衡が相当程度引き起こされ,給与所得者はこれにより生じた税負担のしわよせを相当程度被つていることは容易に推認することができるが,このような給与所得者が被つている税負担のしわよせは,所得税法の給与所得に関する諸規定(諸制度)に基因しているものではなく,各租税特別措置の存在に基因しているものであることは明らかである。

「四 原告の主張中,社会保険料控除(法一一条の六),生命保険料控除(一一条の七),配偶者控除(一一条の九),扶養控除(一一条の一〇),基礎控除(一二条),税率(一三条)および年末調整(四〇条)の各制度については,これらの制度ないし条項が,給与所得者をその他の所得者に比べて著しく不公平に取扱つている旨の理由となる具体的な事実の主張が全く欠けているのみならず,右の諸制度ないし諸条項が給与所得者をその他の所得者に比べて著しく不公平に取扱つている旨の事実は何ら認めるに足りる証拠がない。」

「五 所得税法の給与所得に関する九条一項五号,一一条の六,一一条の七,一一条の九,一一条の一〇,一二条,一三条,三八条および四〇条の諸規定の全体,換言すれば,所得税法の給与所得者に対する課税の仕組みそのものが給与所得者に対し,その他の所得者に比べて,著しく不公平な所得税の負担を課している旨の原告の主張に対する検討は以上のとおりである。すなわち,まず,法九条一項五号の規定する給与所得控除制度は,前記一のとおり,給与所得の担税力の調整等の他の内容と総合してであるが,その主要な地位ないし部分を占めるものとして,給与所得の必要経費を概算的に控除するという内容を包含しており,そして,わが国の給与所得者の置かれている所得発生環境ないし雇用状態の特殊性,給与所得の必要経費の実際上の判定の困難さ,わが国の給与所得者の記帳の慣行の未成熟さ,選択的実額控除制度を採用した場合に予見される徴税費の上昇,税務行政執行上の混乱等の弊害の発生の懸念等の現在のわが国の給与所得者をとりまく社会的,経済的諸事情に鑑みれば,選択的実額控除制度が唯一の合理的な制度であつて,前叙のような給与所得控除制度(給与所得の必要経費の概算控除制度)が合理的な根拠を欠く制度であるとは未だこれを認めることができず,また,そもそも原告の昭和三九年度分給与所得の実際の必要経費が法所定の給与所得控除額(ないし,それから給与所得の担税力の調整分,捕捉率の格差の調整分および金利調整分を差引いた残りの部分)を超過しているとの事実も認めることができないもので,その意味では,原告は給与所得控除制度(必要経費の概算控除制度)によつて,必要経費の実額を控除する場合に比べて何らの不利益も受けていないことに帰するものである。

また,前記二のとおり,給与所得の把握(捕捉)にはほとんど脱ろうがなく,その捕捉率はほぼ一〇〇%に近いのに対し,その他の事業所得,農業所得等の申告所得の把握(捕捉)は給与所得ほどに完璧なものではなく,従前よりある程度の脱ろうが存し,両者の捕捉率には,かなりの長期に亘りある程度の格差が存在しているものと認められるが,その格差の程度は,被告の主張するように僅少にしかすぎないとは俄かに即断し難いものの,原告の主張する如く著しい格差であるとも認めることができないものであるところ,かような所得の把握(捕捉)の不均衡の問題は,本来,法律制度上の問題ではなく,税務行政執行上の事実上の問題であると解するのが相当であり,捕捉率の格差が法律所定の制度に基因し,それが恒常的,かつ,正義の観念に反するほど極めて著しい場合は格別(本件では,このような事情の存在は認められない。),少なくとも,前叙のような程度の本件の場合においては,未だ法的評価に親しむ問題になつていると解することはできないものである(運用違憲の問題も生じないと解される。なお,給与所得控除制度の趣旨には,給与所得とその他の申告所得との間の捕捉率の格差を調整するための考慮分が入れられていることは前記認定のとおりであり,こうして,法は,給与所得者が事実上被つているある程度の不利益に対し,考慮を払つているものということができ,また,給与所得に対する源泉徴収制度が制度として必ずしも不合理なものと認められないことは,前記判示のとおりである。)。

また,前記三のとおり,医師等の社会保険診療報酬の所得計算の特例,米穀の予約売渡代金の一部非課税の特例,利子所得に対する分離課税の特例および証券投資信託の収益の分配にかかる配当所得に対する分離課税の特例等の原告主張の租税特別措置はいずれもその合理的根拠に乏しく,したがつて,かような租税特別措置の存在によつて税負担の不均衡が相当程度引き起こされ,これによつてもたらされる税負担のしわよせを給与所得者が相当程度被つていることは容易に推認することができるが,かような給与所得者が被つている税負担のしわよせ(なお,厳密には,給与所得者のみが税負担のしわよせを被つている訳のものでないことは自明である。)は,所得税法の給与所得に関する諸規定(諸制度)に基因しているものではなく,前記各租税特別措置の存在に基因しているものであることは明らかである(合理的根拠に乏しい租税特別措置が存在するからといつて,逆に,これを何の経済政策的理由もなく,給与所得者に対し優遇措置を講ずべきであるとの理由とはなし難い。)。

さらに,原告が違憲と主張する法条のうち,法九条一項五号(給与所得控除)および三八条(源泉徴収)を除き,一一条の六(社会保険料控除),一一条の七(生命保険料控除),一一条の九(配偶者控除),一一条の一〇(扶養控除),一二条(基礎控除),一三条(税率)および四〇条(年末調整)の諸規定については,これらが給与所得に対し,その他の所得に比べて著しく不公平な取扱をなしているとの理由となる具体的事実の主張を全く欠いている(単に給与所得金額の算定に関係のある規定というのみでは,違憲を主張する事由として全く不十分であるといわざるをえない。)のみならず,立証もないものであり,また,そもそも右法条のうち,一一条の六,一一条の七,一一条の九,一一条の一〇および一二条の諸規定は,所得税額の算出過程における消極要素(控除項目)を規定する(なお,右諸法条および一三条は給与所得者のみならず,全所得者に共通に適用される規定である。)ものであるから,原告の昭和三九年度分給与所得(および雑所得)について,申告により納付すべき所得税額を確定する目的でなされた被告の本件課税処分の取消を求める本訴において,原告が右諸規定の違憲を主張する利益を有するかも甚だ疑わしい。

しかして,以上の検討の結果によるも,法九条一項五号,一一条の六,一一条の七,一一条の九,一一条の一〇,一二条,一三条,三八条および四〇条の諸規定が,給与所得者に対し,その他の所得者に比べて著しく不公平な所得税の負担を課しているとの事実は末だこれを認めるに足りず,他にこれを認めるに足りる証拠はないから,結局,法の右諸規定が憲法一四条一項に違反する違憲無効な規定であるとの原告の主張はこれを採用することができない。

第三 憲法三〇条および八四条違反の主張について

次に,原告は,本件課税処分を違法とする理由として,所得税法の給与所得に関する九条一項五号,一一条の六,一一条の七,一一条の九,一一条の一〇,一二条,一三条,三八条および四〇条の諸規定は一括して,租税法律主義を定めている憲法三〇条および八四条に違反し,違憲無効の規定である旨を主張するので,以下,この点につき,判断する。

思うに,民主政治の下では,国民は国会における代表者を通じて自ら国費を負担することが根本原則であつて,国民はその総意を反映する国会における租税立法に基づいて納税の義務を負うとともに,その反面において,国民は法律の規定に基づくことなしには課税されないものであつて,この原則を一般に租税法律主義という。

すなわち,租税法律主義とは,租税が国民の財産権に重大な影響を及ぼすのに鑑み,課税要件や徴税手続等を法律によつて規定し,もつて税務当局の恣意的な徴税がなされるのを排除して国民の財産権が侵害されないようにしようとするものであり,わが憲法三〇条が「国民は,法律の定めるところにより,納税の義務を負ふ。」と定め,また,同八四条が「あらたに租税を課し,又は現行の租税を変更するには,法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と規定しているのは,この原則を宣明しているものといえる。しかして,日本国憲法の下では,租税の種類,根拠はもとより,納税義務者,課税物件,課税標準,税率等の課税要件および納税の時期,方式等の徴税手続はすべて法律をもつて定めることを必要とすると解すべきであり,また,前示租税法律主義の趣旨によれば,租税に関する法律の規定はできる限りその意義が明確に規定されることを要請されるものといえる。しかしながら,それと同時に,租税法律主義の原則は,それ以上に進んで,租税法のある条項なり制度それ自体の意義をこえ,該条項ないし制度の拠つている理論的根拠ないし内容までが一義的に明確なものであることまでを要求するものではないというべきである。

そこで,原告のこの点に関する主張を検討するに,まず,法九条一項五号の規定(給与所得控除制度)は,前叙(第二,一,(一))のとおり,給与所得金額の算定方法をその年中の収入金額から当該収入金額に応じて四段階に分けられた一定額を控除して算定すると定めるものであつて,その意義は一義的で極めて明確である。ただ,前記認定のとおり,給与所得控除制度は,その理論的根拠,すなわち趣旨として,給与所得の必要経費を概算的に控除すること,給与所得の担税力が資産所得や事業所得に比べて弱いことを概算的に考慮すること,給与所得の捕捉率は申告所得の捕捉率より高く両者の間にはある程度の格差が存在するのでこれを概算的に考慮すること,および,給与所得の源泉徴収による,事業所得等の所得と比べた場合の早期納税に基づく金利上の差額分を概算的に考慮するという四つの内容を総合的に包含し,そのため,右の四つの内容が法所定の給与所得控除額の中においてどのように配分され,または,いかなる割合ないし数額を占めているのかは,具体的に,計数的には必ずしも明白ではない状態である(ただし,必要経費の概算控除分が給与所得控除制度の主要な地位ないし部分を占め,また,金利差の調整分は比較的僅少な額に止どまると認められることは前記判示のとおりである。)。しかしながら,給与所得控除制度の理論的内容としていかなるものが含まれ,また,給与所得控除制度の趣旨を構成する個々の内容が法所定の給与所得控除額のいかほどを占めるかなどということは,租税債務の成立変更消滅という課税要件に関する事項ではなく,単に給与所得控除制度の拠つている理論的根拠ないし内容に関する事項にすぎないと解すべきであるから,租税法律主義の下においても,具体的,計数的に明確にされることを要しないものと解するのが相当である。したがつて,給与所得控除制度の趣旨が一義的でなく,また,それに含まれる四つの内容がそれぞれ法所定の給与所得控除額のうちのいかほどの割合ないし数額を占めるのかが計数的に明確でないとしても,法九条一項五号の規定は,該条項それ自体の意義は前示のとおり一義的で極めて明確なので,租税法律主義に反しないというべきである。他に,法九条一項五号の規定が租税法律主義に違反するとの主張,立証はない。

次に,法一一条の六,一一条の七,一一条の九,一一条の一〇,一二条,一三条,三八条および四〇条の諸規定については,これらが租税法律主義に違反するとされる理由となる具体的事由の主張が全く欠けているのみならず,右の諸条項が租税法律主義に反するとの事実は,何らこれを認めるに足りる証拠がない。

右のとおりであるから,法九条一項五号,一一条の六,一一条の七,一一条の九,一一条の一〇,一二条,一三条,三八条および四〇条の諸規定は,租税法律主義を定めている憲法三〇条および八四条に違反する旨の原告の主張はこれを採用することができない。」